2018年06月20日

パソコンの思い出(3)

 〜「ピコワード5100」編〜

 昭和58年(1983年)から61年にかけて、不登校の子どもたちと接する職場だったこともあって、いわば猛勉強の時代を過ごすことになった(初めての経験の職だった)。その頃、河合隼雄の著作を読む機会が多く、特に、児童文学に関心を持ち始めていたし、忙しかったこともあって、そんな時こそ勉強にも身が入り、対象関係論なども面白く読んだものだった。

「<子供>の誕生 アンシャン・レジーム期の子供と家族生活」(アリエス著 みすず書房 1980年発行)に出会ったのもその頃で、今は有名になっているブリューゲルの絵画の一枚が表紙に印刷されたこの分厚い本も、熱心に読んだものだ。

 子どもが、単に大人の小型であった時代から、子どもが発見され、子どもが誕生していく過程を丹念に調べた(と思える)ものだと感心したことだった。こうした方面にも全く無知であったため、とても新鮮な印象を受けたことを覚えている。

 ブリューゲルの絵画展は、今年、東京で開かれていたが、そうなんだ、と納得したようなしないような。。。あの子どもの遊びをたくさん描かれている一枚が表紙になっていた本が、アリエスの【子供の誕生】である。

 河合隼雄が描いた子どもの世界。「子どもの宇宙」(岩波新書)や、たくさんある児童文学に関する著作などを読みながら、少しずつ児童文学に開眼(?)していった私だった。瀬田貞二の著作にも多いに啓発されたし、多くの研究者の著作にもいっぱいふれた時代であった。

 児童文学や絵本などたくさん読んだり見たりしたのもその時代からで、本当にたくさんの著作にふれたことになる。

 昭和61年、リコーのワープロの利用から出発して、私は、ブラザーのピコワード5100に出会うことになる。知ったのはいつだったか思い出せないが、昭和61年以降であることは間違いない。

 今西錦司など生態学関連本もたくさん読んでいたので、梅棹忠夫の著作もたくさん読んで、生態学だけでなく派生したいわば「情報管理論」などにも関心をもって読んだりしたものだった。
 京大カードも従ってけっこう早い時期から知っていたことになる。

 そのつながりで、「徳久芳郎さん」の読書カードの新聞記事に目がいって、ちょっと真似したりしたものだった。

 昭和63年7月発行の「[情報カード]の仕事術 〜個人の情報を活かしきる〜」(戸山茂彦著 ビジネスアスキー刊)はすぐ買ったように思う。その中に徳久芳郎さんの文章もあって、「ピコワード5100」の紹介も入っていた。

 この書は、実は、過去にもういらない本として処分し手元にないので、最近、ネットで古本を購入した。捨てなければよかったと後悔している。

 その頃の職場の機関誌に、ピコワードを買って児童文学関連の読書カードの内容を書いていて、昭和63年の春には購入したことが印されていたので、この書は、そうしたことのつながりで購入したと思われる。

 ピコワード5100は、ワープロ機能とテキスト型データベース機能とを切り替えて使う優れものであった。しかし、当時は、液晶も悪いし、スピードも遅かったし。。。しかし、これを使って、私は児童文学の読書ノートを作成し、いろいろ読後感など書き込んだりしたものだった。とても勉強になったのである。

 しかし、しかし、ブラザーでは今後こうした分野の開発はしないことになったらしいとの噂を聞いたので、その後使うことは控えるようになった。ちょうどパソコンが盛んになってきた時代でもあったので、そちらに気が向いていった頃にあたる。              (続く)

 次は、PC9801RAのことを書きたいと思っている。いよいよパソコンの出番である。

(記;nomu)
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2018年06月12日

パソコンの思い出(2)

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〜ちょっと自慢編〜

昭和61年(1986年)4月、新しい勤務地に赴任。
3月末に納品されていたリコーのワープロが梱包されたまま鎮座していた。
早速開いて使うことにした。

文書作成にワープロを使う時代に入ってきたので、福祉関係の職場にも少しずつ入ってきた時代である。前任地では予算がなく、まだ入っていなかった。

家では、MZシリーズ以降、何も持っていなかったので、文字通りこうした機器への取り組みの第一歩であった。

ワープロを使う気はなかったのだが、目の前にある機械は、「描画機能」や「住所録」作成機能があったので、それらを使うことにした。

文書作成は勿論手書きである。ワープロで清書するなど考えても嫌だった。手書き文書をコピーしたりガリ版で印刷したりしていたし、それで十分だったのである。手書きしたものをわざわざワープロで打ち直すなど何故必要なのか。きれいに見せるというのは確かではあるが、その発想が嫌だった。下書きなしで最初からワープロに向かうならともかく、紙に一度書いてそれを清書するという発想がいやなのであった。

それはともかく、目の前のワープロ機で地図(簡単な略図)を描くことにし、うまくできれば、それを発送する封筒に印刷し、所在地のおおよそをお知らせできないかという発想である。時の上司から申し渡されたことでもあった。封筒に小さく略図を入れるということで、やってみることにした。

下絵をこしらえて、それの縮小版を描画機能を使ってやった。当時は勿論マウスなどない時代であったので、どのように描画したのか。忘れてしまったが、うまくできたのであった。そしてそれを封筒に印刷し、10年以上使ったのではないかと思う。

高校出のインストラクターと上司とで、ワープロの説明に来られたのはその後のこと。描画機能を使っての作品を見て、“ここでは説明などいりませんね”と冗談交じりにだが驚かれたのであった。高校を出てすぐ研修を受けて、もしかして外での初仕事だったかも知れない。ある意味、申し訳ないことをしたのであった。こんなものを作ったなどと先に言うことはなかったのに。。。でも作品を見せたので、びっくりされたのは確か。もう少し早く説明にこられる必要があったか?

私の自慢話である。

次は、ブラザーのピコワードのことを書きたいと思っている。(続く)
(記;nomu)
posted by dss at 16:33| Comment(0) | フリートーク

2018年05月04日

パソコンの思い出(1)

ネット情報によれば、シャープのMZ-2000が出たのは1982年だとか。
私は、その年、一体型のこの機種を購入した。もう忘れてしまったが、
23万円以上の値段だったと思う。グラフィックのオプションをくっつけ
て買ったので、期待しての購入だった。パソコンとの初めての出会いで
ある。

毎日、わからないまま、BASICのプログラムを打ち込んだ。本を見なが
らだが。

パソコンとはいっていなかった時代だったと思う。マイコンなどといっ
ていたのだろうか。もうあの頃のことはすっかり忘れてしまったが、テ
レビでもBASICの講座があったと思う。SHARP BASIC。まだMZシリーズが
全盛を誇っていたような感じの時代である。

私の職業は、その頃は、知的障害関係の福祉施設であったので、パソコ
ンなどと全く無縁。でも将来、こうした機器がすごいことになるだろう
と、当時の上司からすすめられて勉強に取り組むことにしたのであった。

皆目わからなかった。ひたすら打ち込み、結果を出そうとするが、思う
ようなことはできなかった。それでも毎日のように10分テープに打ち込
んだものだった。

ある日、動かなくなって、中をみたら、ヒューズがとんでいるのを発見
した。幾つかついていたように思う。早速購入した店に行ったら、店に
はないという。やれやれ。注文しても良かったのだが、1年以上使ってい
たので、もう諦めてしまった。

NECのシリーズが優勢になって、そしてMS-DOSの時代へと移行していった
が、その間、パソコンのことはもう諦めたままであった。ちょうど転勤
とも重なったし、今までの経験とはまた違った現場だったので、そちら
に全力投球となったのであった。3年間いろいろな勉強をさせてもらった
し、それまでとは全く違った「障害」に対する勉強をたくさん、たくさ
んさせてもらった貴重な期間でもあった。

あのMZ-2000から遠ざかって4年以上経過して、また新しい職場に転勤に
なり、そのころ、ワープロが出回るような時代に突入し、しかし私は、
ワープロには興味がわかなかったので、欲しいとも思わなかったのであ
った。ちょうど転勤の辞令が出た頃、あちこちの職場でワープロが導入
されるようになってきたが、私の職場では予算がないので買うこともで
きなかったし。

しかし、4月、転勤先に行くと年度末に購入したリコーのワープロが鎮座
していたのである。(続く)
(nomu)
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